成田出発前、妹の家で過ごした数日間は、静かな時間になるはずだった。
ところが、そこで待っていたのは、すっかり記憶の奥に沈んでいた「玄関で寝た夜」と、その続きの物語だった。
若い頃、妹と同じ部屋で暮らしていた極貧時代の記憶。
料理人としての道具にがっかりしたこと。
そして、コロナ前のある夜、異国から来た一人の学生を介抱したこと――。
日々是平穏、と思っていた帰国前の日々に、「6年越しのありがとう」が届くとは思ってもいなかった。
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正直、妹と同じ部屋で過ごすのは気持ちの面ではあまり落ち着かない。けれど、若い頃も同じ部屋で暮らしていたことを思い出すと、あの頃は本当に極貧だったなあと、しみじみしてしまう。
妹が当時の彼氏と結婚して、子どもがいる世界観を考える。胸が痛くなる。
振り返っても戻れないし、人生は思い通りにはいかない。
振り返っても戻れないし、人生は思い通りにはいかない。
不幸はいつ突然やってくるか分からないからこそ、日々の感謝を忘れずにいたいと思った。
ただで泊まるわけにもいかないので、ホテル代のつもりで現金を渡した。妹は素直に喜んでいた。こういうところは分かりやすい。
お土産はもう十分だと思ったので、今度は仕事道具を探しに行くことにした。
道具探しの現実が厳しかった
包丁がない。そこで道具街を見に行ったのだが、正直、質が悪すぎてがっかりした。これにお金を払うのは無駄だと感じた。
妥協に妥協を重ねて買ってみたものの、結局は幻滅した。もう、まともな仕事道具を買うならオーダーメイドしかないのかもしれない。
朝のコーヒーでの再会
毎朝コーヒーを飲みに行っていたら、ある日、女性に話しかけられた。
最初は「誰だろう?」が先に来た。中国人の女性だった。
「覚えてますか?」と言われて、一瞬、新手のキャッチかと思った。まったく覚えていなかったが、相手は一生懸命説明してくる。
そして少しずつ思い出した。確かに、以前どこかで会っている。
コロナ前、仕事帰りに電車へ乗っていたときのことだった。電車は地元止まり。
学生の飲み会で限界以上に飲まされ、電車には乗ったものの、具合が悪くなってしまった女性がいた。介抱したのが、その彼女だった。
当時は大げさかと思いながらも、救急病院まで連れて行った。駅近くに病院があった時代だ。
一通り点滴などの処置を受けたあと、「家はどこ?」と聞くと、返ってきた答えは「〇〇」。その距離を聞いて、これは無理だと絶句した。すでに終電もない。
支払いは自分が済ませたが、タクシー往復はきつい。少し金だけ渡そうかと考えていたところに、妹から電話がかかってきた。片付けを手伝えという。
ああ、これはいつもの「恩を返してもらう」流れだと思ってOKし、彼女を連れていった。電話口で妹と話させて、少し安心してもらったのも覚えている。
玄関で寝た夜
妹には「今日、妹宅に泊めてやってくれ」と頼んだが、「できるわけないだろ」と返された。そりゃそうだ。
結局、彼女は自分の部屋に泊めることになった。妹も一緒に来ていて、コンビニで「あれとこれと、あれとあれを買ってこい」と言われる。女っ気のない部屋なので、まあ当然そうなる。
自分は玄関で寝た。今思うと、かなり変な状況だ。
それでも彼女は名乗り出て、出自とお礼をきちんと伝えてくれた。連絡先も交換したが、その後は特に何もなかった。コロナで中国に帰ってからは、すっかり忘れていた。そんなこともあったな、という程度の記憶だった。
6年越しの「覚えてますか?」
ところが彼女にとっては、あの夜の出来事はかなり大きかったらしい。
異国で動けなくなったことは、後から考えると恐怖だったそうだ。両親からも「何かされなかったか」「暴行されていないか」「記憶はしっかりあるのか」と詰問されたという。そりゃ当然だと思う。
中国ではコロナで外出もできなかったが、それでも「もう一度日本に行く」と決めて、日本語を猛勉強したらしい。時間はたっぷりあったそうだ。
彼女にしてみれば、異国で見知らぬおっさんが助けてくれた印象だけが強く残っていたのだろう。復学して日本での就職も決まり、住みやすいと聞いて引っ越してきたという。
でも、そのおっさんはすでに海外暮らしだった。
電話も通じない。だがそれっぽいおっさんを朝に数日間見かけて話しかけたら、まさに本人だったという。見た目はもう悪人ですよ?今。よく分かったものだ。
忘れていてすまないと謝ったが、さすがに6年越しだ。驚いたのはむしろこちらだった。
なんだか娘ができたみたいで、ちょっとホンワカしてしまった。
ここで妙な色気出してしまったらまさにキモいおっさんである。
ここで妙な色気出してしまったらまさにキモいおっさんである。
妹からも「そんなことあったね」と言われたが、「お人好しはもう程々にしとけ」と釘を刺された。56歳でやると事案だろ、と。
まあ、それは否定できない。





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